こんにちは! 愛知県一宮市の個人専門税理士の服部です。
ネット上には「白色申告だと調査は来ない」という話があるようですね。元国税調査官である税理士の私が思っていることをお伝えします。
青色と白色の区別はほぼ関係ない
最初に結論ですが、税務署は「この人は青色だから」とか「白色だから」とかいう視点で、税務調査に行くかどうかを決めている印象はほぼありませんでした。
ネットを見ていていると、どうも一部の人たちの間では、
「青色申告は白色申告よりも帳簿などをきっちりつけていないといけないから、青色申告に妥当するかどうかを確認するために、白色申告の人よりも青色申告の人のほうが税務調査に入られやすい」
と考えられているようです。
さらにそこから発展して、
「白色申告は帳簿関係の縛りがゆるいから、税務署はあまり厳しく見てこない」
という意見の人もいたりします。
しかし、これらの考え方は、私が知る限り、まったく違います。
ただ、一方で、青色申告者で貸借対照表を添付している個人事業主であれば、ほぼすべての人が会計ソフトを使用している状況にあるため、一般に会計処理の完成度は白色申告の人よりも高い傾向があるのは間違いないでしょう。
そういった意味で、税務調査の対象となった人のうち、白色申告をしていた人の割合はむしろやや高めに映ることはあるかもしれません。
結局、「所得金額」が妥当かどうか?
税務署からすると、税務調査の実施の観点からは青色申告でも白色申告でもほぼ同じように感じています。
結局のところ、申告された「所得金額」が妥当なのかどうか?という点が調査対象とするかどうかのポイントになってくるでしょう。
たとえば、建築業の個人事業主の決算書で、
売上高 1,200万円
必要経費 1,000万円
所得金額 200万円
であるとき、売上高が1,200万円あるのに、利益が200万円というのは、一般には利益率が低いと考えられます。
しかも、もしこの個人事業主が45歳であり、家庭もあり中学生の子供が2人いて、さらに配偶者が専従者であるという状況があれば、なおさら「所得がもっと多くあるはずでは?」と考えることになるでしょう。
生活費は所得金額から捻出されるはずですから、生活費がかかるのであれば、それに相当する所得金額もあるはずだからです。
住宅ローンの返済もしていればさらにその疑念は深まります。
一方、同じ決算書でも、その個人事業主が70歳で一人暮らしであるとしたらどうでしょうか。
体力的にも多くの外注先を抱えることで必要経費が膨らみ、また生活費もさほどかからないことから、200万円という所得金額でもさほど疑問に感じることはないと考えられるでしょう。
このように、税務署は主に「所得金額」の妥当性を検討しています。
一概には言えませんが、「所得金額が低いのでは?」と調査官が考えるとき、「経費が多い」のではなく「本当はもっと売上があるのでは?」と考えるのが一般的です。
「こんなに外注費があるなんて、架空の経費では?」
ではなく、
「こんなに外注費があるのなら、それに対応する売上がもっとあるはずでは?」
です。
個人事業主の税務調査では、主に「正しく売上を計上しているか?」を確認しにきます。
このように、税務調査に入られやすいかどうかという点では、青色申告も白色申告も関係がなく、その申告内容によって選ばれるものでしょう。
税理士が作成したら税務調査に入られないのか
個人事業主の確定申告書の場合、税理士が作成しているものとそうでないものが入り混じっています。
法人(会社)であれば、かなりの割合で税理士が作成していますが、個人事業主の場合はさまざまです。
「税理士の署名があれば税務調査は来ない」
という話を聞いたことがある人もいるかもしれません。
しかし、これは半分正解で半分は誤りでしょう。
というのも、税理士が作成した確定申告書は、やはり完成度が高く、「やけに経費が多い申告書」や「生活状況のわりに所得金額が低すぎる申告書」を見かけることが少ないという印象でした。
結果的に、顧問税理士が作成した申告書は疑問点があまりないために、税務調査に入られにくくなっているものと考えられるでしょう。
税理士の署名さえしてあればいい、という意味で捉えるのであれば、それは誤りと言わざるをえません。
まとめ
税務調査に入られやすいかどうかは青色申告か白色申告かの違いは関係ありません。
申告の内容がどうなのかという点のほうがずっと重要です。
また、税理士の署名さえあれば税務調査に入られないということもないでしょう。
もし、「青色申告にすると税務調査があるかもしれないから白色申告のままにしよう」と考えている人がいたら、そのように考えることはあまり意味がないと思われます。
また、もし税務調査が実施された場合に「ウチは税理士の署名がなかったから入られたんだ」と考えている人がいたら、それは誤った認識であると言えるでしょう。
